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09.05.09 お別れの日に [いろいろ]

そのアルバムを聴いたのは中学の終わりだったか、高校の頭の頃だったと思います。

いったいきっかけが何だったのかまったく覚えていません。「ファンからの贈り物」の自虐的なおふざけぐあい、「夜の散歩をしないかね」の心が浮き足立つようなピュアなときめき感、「甲州街道はもう秋なのさ」の絶望感と喪失感、そしてそこから続く「スローバラード」の小さいけれど幸福感に溢れた美しい世界。

僕にとって、あの「シングルマン」というアルバムが「音楽」を「聞くもの」から「感じるもの」へ。さらに「主張するものへ」と変えてしまったような気がします。

TIMERSという覆面バンドのファーストアルバムも同じでした。
真っ直ぐに。バカがつくくらい正直に。流行や空気に惑わされず、偽物を見抜く目を持ち、愛することと戦うことを同じ天秤ではかりながら自分のやり方を貫く。抗うことは「平和」の対極にあるのではなく、思ったことを素直に表現するという簡単な行動の結果なのだと。そしてそんな風に必至でもがく自分さえも笑い飛ばす、シニカルで冷めた目線。
名前は伏せていても、その声と歌い方と、何よりも曲の内容でそれが誰だかはすぐに分かりました。


旅に出ていてそのことを知らなかったけれど。知ったのは何日も経ってからだったけれど。

まさか「ヒッピーに捧ぐ」を、この人を想ってつぶやく日がくるとは思っていませんでした。いや、本当はどこかで覚悟してたんだと思います。がんで入院っていうニュースを聞いた時も、去年の復活コンサートの時も。もしかしたら、っていう思いはどこかにあったのかもしれません。だからお別れは、突然やってきたわけではないのかもしれない、と思います。

ついこのあいだも、夢でみました。もう生でその声を聞けるチャンスは少ないかもしれない。だから次のライブには必ず行こうと思う。そんな夢でした。

そうやって心のどこかで予感はしていたとしても、やはり受け止めるには寂しすぎます。

あの曲もこの曲も、どんな時に聴いてたか全部覚えてます。あのアルバムを聴いたのは吉祥寺のアパートのアイツの部屋だった。あのライブ盤は弟とお金を出し合って買ったっけ。上京する時に持ってきたのはあの曲の入ったカセットテープだった。一人暮らしを始めた頃、あの曲が寂しさを紛らわせてくれた。上手くいかない時には、いつもあの曲をつぶやいた。友達があのアルバムジャケットのデザインに参加したんだよ。ふられた時も、仕事で失敗した時も、顔を上げられないくらい恥ずかしかった時も、道ばたにしゃがみ込みそうなくらい悲しかった時も、跳び上がりたいくらい嬉しかった時も、ふんわりと幸せだった時も。

いつだって、あなたは本当のことしか歌わなかった。どんなにみっともなくても、正直であることは美しいのだと。繕うことはみっともないのだと。そして、大事なものは身体の中から沸き上がってきた、自分のキモチなのだと。

自力では形にできない胸の奥の衝動を、あなたの歌の中に見つけることができました。音のチカラだけでなく、歌に込められた言葉のチカラ。ぼうっとして形にならない感情を、一つの言葉に乗せた時にその輪郭が見えてくる。あいまいな自分の気持ちを削り出すかのような言葉に、僕は憧れてきました。

出会って、今日まで、そしてこれからも。あなたのファンであると胸を張って言える。そのことが僕の誇りです。

30分だけ、泣きます。
清志郎さん、ありがとう。感謝します。ゆっくり休んで下さい。

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