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11.07.13 モンベル「アウトドア義援隊」報告会 [スノーボード]

3月13日のブログで「モンベルアウトドア義援隊」について書かせていただきました。
11.03.13 モンベルアウトドア義援隊がスノーボードウェアも受け入れ

 この「アウトドア義援隊」について、去る7月12日、都立産業貿易センターで開催されていた「モンベル展示会」の中で報告会が行われましたので参加してきました。
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 報告に立たれたのはモンベル代表の辰野さん。アウトドアファンの間では有名な「いつも現場にいる社長」です。
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■「アウトドア義援隊」のなりたち
元もと、アウトドア義援隊が組織されたのは1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」の時だったそうです。その際、大阪に本社のあるモンベルでは、被災直後から現地に支援活動に入られたそうです。
 こういった災害時、アウトドア用品は生活を支える重要な物資になります。扱いが簡単で、衣食住をまかなうことがでます。モンベルでは自社の寝袋2000枚の他、ムーンライトテント500張りを支援物資として無償配布しましたが、そんな数では足りません。そこで辰野さんは同業者に広く手助けを求めました。ここで必要なのはアウトドア用品であり、活動するお金であり、人手なのだと。つまり「ひと・もの・かね」を早急に集める必要があると。
 インターネット環境がいまほど整っていない当時、ファックスを使って手書きで送った支援要請の声。そこに書かれていたのが「アウトドア義援隊」という名前だったのだそうです。

■東日本大震災にあたって
2011年の3月11日に東日本大震災が発生しました。モンベルでは宮城県内に3店舗を展開していましたが、うち2店舗が被災しました。そこで残った仙台市青葉区の店舗を前線基地にして、3月11日には「アウトドア義援隊」としての支援活動がはじまりました。

■実際の支援
1. 支援活動は物流が大事
 阪神・淡路大震災での経験がある辰野さんのお話しはとても示唆に富んでいました。
「ものを届けるためには順序がある。準備がいる。ものを届けようと思う人間が被災地に入ってしまうと何もできない。被災地はライフラインも絶たれている。支援はある程度離れたところから、支援する人たちの生活を確保しながら」
 これはとても冷静さを求められる姿勢だと思いました。

2. 支援物資は被災していない地区に集結
 集められる支援物資が膨大な量になることは分かっていました。それをそのまま仙台の店舗に送ると現場は混乱してしまいます。そこで当初は石川県のモンベルに集めることにし、ある時期からは現場近くに倉庫を確保。天童市のミツミ電機という電機メーカーの倉庫を物資仕分けの拠点としました。最終的に集められた支援物資は300トン。2トントラックで150台分もの支援物資が、仕分け倉庫から被災現場へと届けられました。

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被災地近くの学校の体育館に大量に集められた支援物資。これを細かく仕分けします。人手と広い作業スペースが必要になるため、被災地でできる作業ではありません。


3. 支援物資は仕分けが要
 被災直後、行政は個人からの支援物資を受け付けていませんでした。行政は災害支援や状況確認に人手がとられて、支援物資を仕分けすることができなかったからです。
 支援物資は仕分けが大切です。テント、寝袋、ストーブといったアウトドア用品をチェックして分類し、被災地に贈りやすい形に仕分ける。そういった支援物資に、「アウトドア義援隊」へ寄せられた義援金で買ったおむつや生理用品、下着といったものを加えてトラックに積み込む。
 こういった仕分け作業は被災現場に入れないお子さんでも手伝うことができます。被災地に入ることはできないけれど、ここでなら自分にできるお手伝いをすることができます。
 辰野さんがおっしゃったひと言が身にしみました。
「現地に行って配って回るのは、直接ありがとうございますっていう声が聞けます。いわば花形です。ありがとうの声を直接聞けます。けれど、仕分けをしている人たちにはその声はありません。それでも一生懸命やってくれた人たちがいます。ありがたいと思ってます」

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小さな女の子でも支援のスタッフとなって役に立てる。後方支援の大切さを思い知らされるシーンです。


4. 小さな避難所を中心に
大きな避難所は比較的早い時期から自衛隊の支援も入り、行政からのサポートもありました。「アウトドア義援隊」では小さな避難所を中心にまわりました。エリアは山形をベースにして、宮城県が中心です。

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どのクルマが何を積んでどこを走っているのか。それを把握していることが、効率のいい支援につながります。


5. 支援はタイミングが大事
最初の頃は何を持って行っても喜ばれたけれど、ある程度の時期になると人によって必要なものとそうでないものに差が出てきます。だからこそ、あずかった支援物資を届けるにはスピードが大事です。支援にはタイミングとニーズが欠かせないそうです。

6. モノから金へ
「アウトドア義援隊」への義援金は約3,500万円が集まりました。主に支援物資で送ってもらえないようなものを購入されたそうです。たとえば灯油をタンクローリーで買って現地に運ぶ、といった使い方です。また下着やおむつ、生理用品などの購入にも充てられました。
 最後に1,000万円弱のお金があったので、一人1万円のお見舞い金として配られたそうです。手を握って泣かんばかりにお礼を言われる方もいらしたそうですが、中には“行政からお金は受け取らないように言われているから。それは不公平になるから”として遠慮なさった方もいらしたそうです。
 辰野さんはおっしゃります。
「僕は唖然としました。あの状況において、公平不公平の概念はどこにあるのか。何をもって公平と言うのか」
「最初のうちはものがなくて困ってた。燃料がなくて困ってた。それがひと月も経つと、今度は人からものをいただくことに心苦しさを感じる方もいる。お金を使って自分の欲しいものを買う、という行為が生活のハリになる。たった1万円でも美味しいものを食べたりお風呂に行ってもらうっていうことが大切だと思ってお見舞い金にしました」
 公平さを守ることも大切ですが、一番の公平はみんなが何もしないこと、になってしまうのは問題かもしれません。

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寄せられた義援金は、こうしたお見舞い金としても役立てられました。


7. こどもの笑顔が大人を救う
辰野さんは手品をしてこどもたちを喜ばせていたそうです。こどもが笑うと大人が笑い、避難所の雰囲気が明るくなる。
「花見を自粛することは正しいとは思わない。被災者も我々と同じように泣きもするし笑いもするし、冗談も言うし、花を愛でることもある。安全なところでものを考えていると、別のものの見方をしてしまうのかもしれませんね」
 とのことでした。

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一番大事なもの。


8. 自分の頭で考える
「アウトドア義援隊」はどこかの行政から依頼を受けているわけではありません。完全にいち私企業が男気に駆られて活動しているのです。
「ボランティアに行きたいんですが、どうすればいいですか? っていう相談を受けることがあります。自分もボランティアに行っていいんですかって言う人がいます。そういう人が多いことにビックリしたんです。そこに助けを待ってる人がいて、誰の許可が要るんですか? 行けばいいじゃないですか。すぐ行けばいいじゃないかと思うんですが、誰かの許可をもらわないと、誰かの指示を仰がないと動けない。いかに管理社会に毒されてしまっているか。それに唖然としました」




■このブログを通して
「アウトドア義援隊」の協力要請メールを受け取ったのは3月12日。そこからすぐにスノーボードウェアの受け入れをお願いし、許可をいただいてブログに掲載したのが3月13日でした。
 可能であれば何着くらいのスノーボードウェアが寄せられ、どの程度の役に立ったのかを知りたいところですが、当時の混乱した現場の様子をうかがうと、その質問自体が意味のないものに思えてきました。
 僕らは実際に行動し、きっと何かの役に立ったに違いない。
 その善意の集合体が300トンもの支援物資であり、3,500万円もの義援金になったのだと思います。それが分かればじゅうぶんだと思いました。

被災地ではまだまだ支援が必要ですし、『人・もの・かね』のすべてが不足しています。今後も息の長い支援を心がけながら、「アウトドア義援隊」を通じてチカラを貸してくださった皆さんにお礼を申し上げたいと思います。

ありがとうございました。


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