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10.08.13 「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」 by 福岡伸一 [本や映画、音]

僕らは毎日ごはんを食べてる。
人間は食べないと死んじゃうからね。

でもさ。
なぜ食べないと死んじゃうんだろう?

食べ物が栄養になるってどういうコトなんだろう?
僕らが食べたものはカラダの中でどうなっていくのかな?
消化される、栄養になる、身体を作るって、具体的には何が起こってるんだ?
そして、最終的な疑問に辿り着くよ。

生きてるってことはどういうことなんだろう?

福岡伸一さんは分子生物学者で、これまでに「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)」で生物が生きているとはどういうことなのかを記し、「もう牛を食べても安心か (文春新書)」では牛海綿状脳症(いわゆる狂牛病)の原因とされるプリオンを通じて、病気が種を超えて広がるしくみと、ヒトがタンパク質を摂る理由から生物が生きているという状態を分子レベルで丁寧に解説したよ。
もちろんその他にもたくさんの著書があって、どれもが整理された優れた文章で分かりやすく綴られていく。
個人的には文章のお手本としても注目してるんだけどね。

福岡先生の主張は明快だ。
つまり、生物は身体を作るパーツを手に入れるために食べてる。
食べることで身体の中の分子は、食べたものの分子と瞬時に入れ替わり、古くなった分子は排泄され、食物から手に入れた分子によって構成されたアミノ酸や酵素が身体を作っていく。
生物っていう複雑なシステムは悪くなったり古くなった部分を丸ごと取り替えるっていうやりかたよりも、いわゆる新陳代謝を起こして常に全体をリフレッシュしていくほうが理にかなってるんだって。
そのためには、新しいパーツを供給し続けないといけない。

おもしろいのは、食べたものはそのまま身体のパーツになるんじゃない。
たとえばお肉は体内で直接筋肉や皮膚に置き換わるんじゃなくて、筋肉や皮膚や消化酵素を作りだすことのできるパーツとして吸収されることになる。

この本「動的平衡 -生命はなぜそこに宿るのか-」ではこう説明されるよ。

「消化とは、腹ごなれがいいように食物を小さく砕くことがその機能の本質で決してなく、情報を解体することに本当の意味がある。タンパク質は、消化酵素によって、その構成単位つまりアミノ酸にまで分解されてから吸収される。
 タンパク質が「文章」だとすれば、アミノ酸は文を構成する「アルファベット」に相当する。「I LOVE YOU」という文は、一文字ずつ、I、L、O、V……という具合に分解され、それまで持っていた情報をいったん失う。」
(引用元/「動的平衡」 P67〜68)

たとえばお肉はすでにお肉とかじゃなく、栄養素としてのタンパク質でもなく。
もっと微少なアミノ酸にまで分解されて、はじめて身体に取り込むことができるんだって。
じゃあなぜタンパク質をアミノ酸にまで分解しないといけないのか。
そのシンプルな疑問から、やがて病気に感染しないための生物のシステムや、生命の本質、そして食べ物を摂るっていうことがどういうことなのか、なんかが語られていく。

福岡先生の生命観はとても興味深い。
僕らの身体ってのはしっかりした形があって、明らかに手に触れる実体のあるものだけど。
分子生物学的に見ると、生物っていうのは食べ物を構成していた分子が通り過ぎていく過程でしかないんだって。
この実体がある身体も分子レベルで見れば常に入れ替わって新陳代謝を続けている。
つまり生物の身体っていうのは、来ては去りする分子が一時的に停滞している状態でしかない。
この常に変化し続ける「動的」な「平衡」状態が「生きている」っていうこと。

この感覚はちょっと足もとが揺らぐっていうか。
自分の身体が信用できなくなる感じがするよね。
今、この状態が「動的」な「平衡」状態でしかない、っていうのはにわかに受け入れがたい感覚なんだよね。
つまり、いろんな原稿を書いたり、女の子をデートに誘いたいなって思ったり、スノーボードが楽しかったりする「僕」という生物は、分子の雲の揺らぎの中にしか存在してない。
その分子は動的に、常に入れ替わってる。
それなのに僕は僕としての記憶と自我を保持しつづけている。生きている間はずっと。
身体や神経や脳さえも「動的」な「平衡」状態でしかないとしたら、「僕」の本質はどこにあるんだろう……?

この本は生きてるっていうことを分子レベルで考えて、生命活動が「動的平衡」状態だっていう新しい生命観を与えてくれたよ。
その意味ではものすごくおもしろかった。


あとさ。
“食べ物として身体に入ってきたものは分子レベルにまで細かく砕かれて、身体の中のどこかの細胞を構成する分子として利用され、同時に古くなった分子をつぎつぎに体外に捨ててる”
この考え方は、食べ物に対する短絡的な概念を整理してくれるよ。
たとえば。
この本の中でも、ちょっとだけフードファディズムに関わる考察がなされてる。

よくコラーゲンたっぷりのお料理を食べたらお肌がツルツルになるっていうハナシがあるけど。
あれはあり得ないんだって。
まぁ、難しいハナシを聞かなくても、そんなのはちょっと考えれば分かるよね。
コラーゲンを食べたらコラーゲンになる? もしそうなんだったら、鶏肉を食べたら鶏の筋肉がつくことになるよ。豚を食べたら豚になっちゃう?
もちろん、そうじゃない。
食べたものがそのまんま身体を構成するパーツにはなるわけじゃない。
じゃあどうしてコラーゲンだけは直接コラーゲンになるって思っちゃうんだろう?

たぶん大多数の人はこう思ってる。
「食べたものが直接身体のパーツになるんじゃない。身体の中にコラーゲンをたくさん取り込むと、コラーゲンの原料がたくさん手に入って、結果的にコラーゲンがたくさん作られて、お肌がツルツルになる」って。

ブッブー。
さっき言ったみたいに、食べたものはすべて分子レベルにまで分解されてから、体内に吸収される。


「コラーゲンは、細胞と細胞の間隙を満たすクッションの役割を果たす重要なタンパク質である。肌の張りはコラーゲンが支えてるといってよい。
 ならば、コラーゲンを食べ物として外部からたくさん摂取すれば、衰えがちな肌の張りを取り戻すことができるだろうか。答えは端的に否である。
 食品として摂取されたコラーゲンは消化管内で消化酵素の働きにより、ばらばらのアミノ酸に消化され吸収される。コラーゲンはあまり効率よく消化されないタンパク質である。消化できなかった部分は排泄されてしまう。
 一方、吸収されたアミノ酸は血液に乗って全身に散らばっていく。そこで新しいタンパク質の合成材料になる。しかし、コラーゲン由来のアミノ酸は、必ずしも体内のコラーゲンの原料になるとはならない。むしろほとんどコラーゲンにならないと言ってよい。」
(引用元/「動的平衡」 P76〜77)


お肌にいいコラーゲンも、コエンザイムナントカも、何千円もするサプリメントも。
結局はアミノ酸に分解されて、バラバラのパーツになって別の物に組み立て直されるんだよ。

それは分かっていても、身体にいいって聞くと(ところで身体にいいって、具体的にどういうこと?)、都合のいい考え方に落ちていっちゃう。
これを食べれば健康維持ができるだとか、あれが身体にいいとか、ナントカはダイエットに効くとか。
場合によってはきちんとした研究機関まで持ってる会社が、こういった「食べ物に関わる都市伝説」をあおるような製品を市場にまき散らしている。
ある食品が持つ、ほんの小さな効果を大々的に打ち出して、体調が悪くなるっていう「不安」につけ込んでくる。
虚飾の健康指向と、正しい知識に裏打ちされた食物観。
それを見分ける知識を持てば「コラーゲンでお肌ツルツル」や「身体にいいサプリメント」に何千円も費やすことはなくなるんだけどね {^^}
(お金だけの問題じゃないよ。そのカラフルな錠剤は、いったい何からできてるんだろう?)

なぜ生物は食べないといけないのか。
このことをきちんと理解することは、自分の身体と向き合い、何を食べるべきかを意識することに直結する。
フードファディズムに侵されない強力な支えにもなるしね。

疾病予防やミトコンドリアの働き、そして食べ物を正しく理解するという姿勢まで。
「動的平衡」は分子生物学っていう視点を通して、新しい生命観を体験させてくれた。

科学の冒険書としては、すごく良くできてる。
理科好き男子と、本気で食べ物に気をつかってるアスリートには、是非。







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