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10.06.14 「暗号解読」by サイモン・シン [本や映画、音]

前回の「フェルマーの最終定理」がおもしろかったので、同じ作者の別の作品を速攻で買った。



「人に知られたくない手紙」を出さざるを得ない人たちがいる。
為政者だったり、軍の司令官だったり、あるいは道ならぬ恋に落ちている人だったり。
そういう場合は懐にそっと隠した手紙を届けたりするんだけど、そんなの見つかっちゃおしまいだ。
だから分かる人にだけ分かる言葉で書き記したりね。
暗号っていうとおどろおどろしいけど、結局は「ヒミツ♥」を共有するってこと。
その秘密を守るために、古今東西、いろんな人たちが知恵を絞って努力して、他の人には理解できないヒミツのことばを編み出してきた。
その様子を綴った暗号の歴史書。

最初に驚くのは、暗号は解読者の方が有利な立場にあるってこと。
だって暗号は作ったら最後、解読することの方が難しいって思ってたんだよ。
だけどそうじゃないらしい。
実際には暗号も人が作ったものだから、何かしらの規則性が潜んでる。
それををきちんと見つけ出してしまえば暗号解読は可能、らしいよ。
その具体的な方法もきちんと開示されてる。
これがまたおもしろいんだけどね。

で、「おまいらの暗号、解けたぜ!」って言うばっかりが能じゃない。
場合によっては意図的に解読してないふりをして敵を安心させて、最終的には大どんでん返しを狙ったりね。
スコットランドのメアリー女王の例がそうなんだけど。
もう、暗号の世界はダークな思惑がぐるんぐるんしてるよ。
歴史の中に埋もれてきた、この化かし合いがちょ〜〜おもしろい。

そうやって暗号がどう使われて、どう解読されていくかを丹念に説明した後、お話しは暗号をのせた「媒体」の話になっていくよ。
ヒミツが紙に書かれた手紙でしかやりとりしない頃にはまだ良かった。
手紙を持ってるやつを引っ捕らえれば手紙は手に入ったし、その暗号を解読するのは時間の問題。
やがて世の中に「電信」つまり「電気信号でお話しするしくみ」ができた。
こりゃ大変だ。
紙も、捕まえるべきヤツもいなくなったんだよね。
とは言え、当初の通信は電線を使った「有線式」。電線を伝わる話を聞くのは、電線自体がどこに張られているかを探り出せばいい。
結局補足の対象が「紙」から「電線」に変化しただけで、狙うは「電線」っていう「媒体」だったわけ。
ところが。
テクノロジーは発達して、電線を使う「電信」から電波を使う「電信」になった。
こりゃもう、陸だろうが海だろうが自在に情報をやりとりできるようになった。しかも文字通り、電線の要らない「無線」だかんね。ちょ〜便利。
陸の司令部が、海に出ている軍艦に情報を送ることもできるようになって、戦争の形態は一気に変化した。
なんだけどね。電波だから。
どこまでも広がっていっちゃうんだよね。
受信機さえあれば、戦争の相手がどんな話をしてるのか、いつどこに攻め込もうとしてるのか簡単に分かっちゃう。
こりゃやべぇってわけで、ますます通信は味方にしか分からない言葉で交わす必要がでてきた。
変革はここで起こったんじゃないかな。
つまり、補足の対象が「媒体」から「情報」へとシフトしたわけだ。
こうして暗号は戦争を背景に、より複雑化していく。

かつてはある太さの棒にテープ状の紙を巻き付けることで記した文字が現れたという原始的な暗号生成。
それが「ヴィジュネル暗号」と呼ばれる、キーワードを使って文字を置き換える方式に進化し、近代暗号の基本になった。
その方式はさらに進化し、第二次大戦中にドイツが開発した「エニグマ」という暗号機は、想像を絶する複雑な暗号を瞬時に生成するまでに至った。
一方、複雑な暗号を作るんじゃなくて、敵側に分からない言語で通信してしまえば、それすなわち暗号なんじゃね?
映画「ウィンドトーカーズ」のモチーフになったように、その部族しか理解しないようなマイナーな言語を話すネイティブアメリカンが通信を担うことで、会話そのものが暗号化されたという史実。

複雑化していった暗号は、一見すると僕らの生活には何の関わりもないように思える。
けどね、クレジットカード情報なんかの一部の情報をのぞいて、メールなんてものは暗号化もされないでそのまんま平文でやりとりされてる。
この本の中では、その情報をスキャンして反政府的だったり、犯罪を示唆するような内容が含まれてるときにはより詳しい調査を行う機関も存在してるっていう指摘があったりね。
(いわゆる『エシュロン』の存在について、だね)
そうなると、僕らのメールのやりとりは誰かにのぞき見されてるのかもしれない。
プライバシー保護のために、ネットを飛び交う通信内容はすべて暗号化されるべきなのか。
それともテロや犯罪を未然に防止するために、一般民間人の暗号化は規制されるべきなのか。
ハナシは個人のプライバシーと社会の安全を担保することはどうバランスさせるべきなのか、にまで及ぶよ。。
んでもって最終的に暗号は、人間の信頼関係と情報の確からしさを検証するツールとしての役割さえ担うことになりそうな気配。

文字を入れ替えたり表を頼りにしたり、鍵を使ったりあれしたりこれしたり。
暗号っていう言葉が想像以上の広がりを持って、ヒミツのお手紙をやりとりする上でどう発展してきたか。
将来的には量子コンピュータが開発されることによって生み出されるであろう、絶対に解けない暗号、などなど。
ヒミツにしたいと思う人たちと、それを知りたいと思う人たちの知恵の攻防を、綿密にたどりながら紐解いていく歴史の物語。

このサイモン・シンって人、ホントに細かく取材していて、複雑な話をていねいにていねいに書いていく。
「フェルマーの最終定理」で出てきた素数という不思議な数の性質を暗号にいかす人たちの話。
そして、数学と暗号の関連性、等々。
前回の「フェルマーの最終定理」でエニグマの話が出てきたのは、こういうことだったんだねぇ。

いやいや、科学ドキュメンタリーとしては一級だと思う。
途中、暗号解読のロジックを使って読み解かれた、失われた古代の文字とそこに記されていた内容のお話しとか出てくる。
ロゼッタストーンがどうやって解読されたのか、なんてストーリーは暗号解読術が人類の宝を掘り起こしたってことなんじゃないかな。
暗号と考古学が交差したりなんかするのって、だいぶワクワクしちゃうよ。

好奇心旺盛な理科系の男子にはマジでおすすめ。





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